幸せとは撃ったばかりの銃である

10月7日、テアトル新宿にて沖田修一監督作品『南極料理人』を観る。日本からは約1万4千キロ離れた南極ドーム基地で1年半の観測活動に務める8人の男たちの物語。原作者の西村淳は97年に第38次南極観測隊に参加している海上保安官である。
ウィルスさえも存在しない平均気温−54度の極地帯で8人の男衆が高校の運動部の部室程度の掘っ建て小屋で1年半も暮らす。と、いった内容の本作が意外にも若い女性を中心にまずまずのヒットという情報に私はもしやと思った。その若い女性客というのがどういう種類の女性なのかも見当がついた。だが本作『南極料理人』の中に主演の堺雅人をめぐる中年男たちの肉弾戦というか「流されて」的な彼岸のポルノ劇がストレートに描かれているとは思わなかった。そしてその種の若い女性にとってはそれで充分、そこはスキップしてある方が余計に興味深いのだろうとも。
80年代の中頃に必殺シリーズ太陽にほえろ!シリーズの人物関係をその種の若い女性が裏読みし合うファンジンが一部で盛り上がったが。『南極料理人』を観に来る若い女性客はあの当時の一部の必殺、太陽ファンの娘世代ではないのかと少し呆れたり。しかし20年前20歳そこそこの私はその種の若い女性に合コンの際に暗がりに囲まれ必殺、太陽シリーズに興味はあるかと軽くカードを切られたが何を聞かれているのかわからないふりをした。自分は堀江しのぶのような女友達と目黒エンペラーに潜入する青春を送りたいと思っているのにこんな性的魅力にとぼしい女どもと男色ファンジンの制作に明け暮れる青春なぞまっぴらごめんだと。吐き気がするぜこの醜女どもと、思ってはいたが。
しのぶちゃんが他界してしまうと不思議とそうした若い女性らへの嫌悪も何処かへ行ってしまった。その種の若い女性らの生きづらさからくる激しいストレスが洪水のように時代のセックスシンボルを飲み込んでしまったような気がした。本作に登場する雪上車の中には女子大生モデル時代の宮崎美子のピンナップが。原作にもここドーム基地では百恵ちゃんとアグネス・ラムのポスターが今も現役という大事実があったが。
イエローキャブ群であれMUTEKIギャル群であれ特定の女が世の男たちの生血を吸い上げ続ける現実に耐えきれないそうした若い女性らが今も見る夢は『南極料理人』の世界。まったく最低、最低のクズどもと私は変な形で青春を取り戻した。燃える年頃を思い出したような気がした。もうアンチ腐女子で行くかとも。でもそんなこと栗本薫が生きてたら大きな声で言えないよなとも。祈りを。