桑原さんからの贈り物だったのである

1月20日、池袋のレコファンでたったの二千五円で入手できてしまった浅川マキ『こんな風に過ぎて行くのなら』が自宅のプレイヤーではなぜか再生できない。盤が規格違いということもなく確かにもうガタピシのしょぼいソニー製の一万弱のプレーヤーなのだが。
おととし位に神保町のタクトにて文芸座オールナイトライブをセレクトした浅川マキのライブ盤が確か六千円弱で売られていた。思いきって買っておくべきだがなと悩んでるうちにとっとと売れてしまってガックリしたが。が、今は『こんな風に過ぎて行くのなら』がレコファンのワゴンの中に無造作に放り込まれていてしかも二千五円とは。
実はその時も思いきって買っておくべきかと悩み始めてしまう程の金欠状態であったがタクトの前例を考え入手することに。そしてその盤が今自宅のガタピシプレーヤーの中で何やら駄々をコネているのである。私にはそのことがとても不気味な妄想を連れてそこにトグロを巻き始めているように思えた。
浅川マキの作品は割合最近のものでもすぐ店頭から消え去って追加入荷などされにくい。聴きたい人々が買って聴いてくれればそれでよい性質の商品と作り手も受け手も熟知しているからである。そして受け手のほとんどはそうして入手した作品群をいつまでも大切に聴き続けるだろうと思う。そうして入手したはずの作品群を中古屋に売り飛ばす人間はあまりいないはずなのだが。仮に売り飛ばしたとしても中古屋の方が今度はその作品に結構なプレミアムを付けてそれでも欲しいという鼻息荒げたオールドファンの前に出品する。と、いう図式が浅川マキのようなアーティストとそれを扱う中古屋サイドの間には昔も今も守られている。
それがワゴンセールの中に破格の安値で放り込まれている場合、この場合はプレミアムを付けることに店側がビビったと考えられなくもない。セコハン業界で伝わる所のデスネタではないかと考えられなくもない。先の持ち主が他界した後に身内の人間が買値にこだわらず処分していった商品ではないかと考えられなくもない。
そうしたブツを年頭からうっかり入手してしまった私自身にも何か凶運が近寄りつつあると考えられなくもない。この場面で何か厄落しになるだろうと考えるにこれは淺川マキのライブに今年は久々に足を運ぶべきかと感ず。他にこの不吉な妄想を晴らす術がないような気がするのだ。
デスネタつかんだ私自身のこの拙文もまたデスネタ化するのか。浅川マキの次回のライブが少なくとも誰でも気軽に足を運べた最後の公演となるか。桑原、桑原と。