真面目男に御質問は要注意である

日本で一番小さな古本屋?などと称して本棚一個に古本をギッシリ並べて売っている近所のファンシー雑貨がある。古書を商う為には免状のようなものを取得するんじゃなかったっけか。家主のエイチにそのような品を以前見せてもらったはずだが。そのファンシーのとこはどうも店主の読みさし読み捨て本に百円二百円の値を付けて売っているよう。つまり不用品であると、古書じゃないんだと。
なんだ古書じゃないんだと私が入手したのは文春文庫『酒と博奕と喝采の日日』(矢野誠一)であった。文字通り酒やギャンブルなどによって若死にしていった芸人たちのルポ集である。トニー谷水原弘などは私世代ではなんとなく記憶に残っている半端追体験によるビッグネームである。佐々木つとむ、藤山寛美の全盛期はわりとはっきり覚えてはいる。他にも登場する芸人の中で一番そういえばいたなとヒクとしたのが「文学青年だった伊藤一葉」の項だった。
70年代半ばに化粧品のセールスマンのような姿振る舞いで真面目そうにマジックショーを展開するあの男。「この件に関して何かご質問は?」とマジックの途中で問いかけるギャグは日本中で大流行した。マジシャンなのに真面目な勤め人みたいということが当時どうしてそんなにおもしろかったのか。マジシャンらしいルックスとはそもそもどんなものか。伊藤一葉のあのキャラクターは本来ならもっとハイソな身分にあったであろう血筋の人間がよりによって大道芸人のようなことをして食いつないでいるその人生劇場を大衆のオモチャにさせる狙いがあったような。
そしてあの真面目な勤め人風のキャラクターは完全にフィクションであったことを本書で初めて知った。伊藤一葉は兵庫県城崎町の興行師の家に生まれた。高校卒業後には旅まわりの楽劇団に参加した後に上京し夫人と二人三脚のマジシャン生活を始めたのが60年代半ば。安アパート暮らしから新居を持つまで売れっ子になったのが70年代半ば。このとき伊藤一葉四十二歳。そして三年後には肝臓ガンで亡くなってしまうのだが。
高校生の頃から酒は浴びるほどで失敗談も警察沙汰も数知れずというのも意外だった。おそらく人気絶頂の昼も夜もない頃も酒は浴びるほどであったはずである。真面目な勤め人のようなキャラの下のド不良振りを知っているのは当時共演した人間だけだろう。当時小学生だった私も伊藤一葉の真面目キャラのファンの一人であった。あの頃一葉を街で見かけていたら追い回して背広のすそにブラ下がるぐらいのことはしてたかもしれない。命拾いであったと今頃ブルって。