レイディオガールはやさしい声である

この三月末は何か特別思いきった仕切り直しをすべきと考える集団心理があるのかしらん。ラジオをのんべんだらりと聴いているだけでも三月いっぱいで降板を伝えるパーソナリティの少なくないこと。そしてその少なくない降板組の中に私の愛聴する『走れ歌謡曲』の金曜担当、南かなこもいた。
あわてふためき最終回のひとつ前の回からエアチェックを試みた。が、120分テープの片面を録ったところで不安と淋しさに負けて痛飲の果てにチンボツ。大事な機会を半分オシャカに。しかしもうこうなったらジタバタしても始まらないかとも。大体これまでだって寝床で半分寝ながら聴いているのもなかなかつらい放送を続けていたパーソナリティ、南かなこの気力、体力たるや。
そもそも私が『走れ…』を聴き始めたのは南かなこの金曜日ではなかった。他の曜日に新曲をPRに来ていた回を偶然聴いて彼女のキャラクターに好感を持ったのだった。行きつけのカフェでちょっと感じの良いウエイトレスを見つけたようなシチュエーションである。そして3年まえの1月21日、浅草ヨーロー堂にての店頭キャンペーンにも出かけ生かなこを初めて。その後も街頭イベントにせっせと出かけいずれもささやかながらも楽しい思い出であった。が、ささやかな部分での成功はそうして重ねてきたわけだがささやかではないよりメジャーな成功からはずっと縁遠くなりつつはあった。ようやく決定したかに思えたホールコンサートも中止になってしまったし。そろそろささやか路線からは離れた方が良いのかもしれない。
街頭イベントに実際足を運んでみればわかるがその場に集まった人々から「われらが南かなこ」を引き離すことは何とも酷である。私も含めて普段は何をして生活の糧にしているのかまったくわからない人々。流浪の民である。そんな都会のジプシーどもの歌姫でいるあいだは全国レベルのメジャー演歌歌手にはおぼつかない。が、目前のジプシーを振りきったところで新たなファン層を獲得できるかどうか。どこへ行くかなど知っちゃいねえ、ただもうここから離れていくんだ。と、いうような沸点超えた際々の決断であればそれもまた良しかと。が、本当は今のままのささやかな小世界の小歌手のままでいてもと当人は思っているのか。
いや当人はどんな時も胸の奥のウェットな心情を誰かに理解してもらいたいとも思っていないはず。3年以上の追っかけ生活のなかで私が読みとった南かなこの人間像はそこかと。俺の涙は俺が拭くといった気骨が眠る彼女にまだ未練。