思い出には伸び悩んで欲しいんである

双葉文庫名作シリーズ、山田芳裕短編集『泣く男』を読む。99年6月に発行されたコミックスの文庫版である。収録作は全9作品で内2作は原作ものの時代劇である。本作の後に発表されたのがあの代表作『やぁ!』である。思えば当時の山田芳裕の筆力におののいて以来青年コミック界そのものへの関心も激減してしまっている。面白い作家がいなくなったというか同じ様なものを面白がってきた同世代の作家が少なくなり残った現役選手達はもう私のような者を面白がらせるつもりはない(と、思ってる気がする)からだろう。表題作の『泣く男』は映画を観ても絵画を観てもここ7、8年は泣いていないモラトリアム青年の話。同居中の恋人桐島さんは例によってどう見ても桐島かれん。こういう遊びが若い読者に通じないことからも路線変更はやむなきことだったのかとも。アルバイト先をクビになったことにクサって郷里にフラリと帰る主人公。その間にブレーキのこわれた自転車を乗り回していた桐島さんは交通事故死してしまう。彼女の葬式をすませた後で青空に向かって「体はってまで俺を泣かそうってか……涙でねーぞ……」と一人つぶやく主人公。その後彼女とすごした自室のソファーの上で形見になってしまったランジェリーをふと手に取り匂いを確かめているうちによよと泣きくずれる主人公。泣く男、終。こうしたアプローチの作品はやはり同世代向けのサービスだったと思う。今時の中高生が山田芳裕は『泣く男』から入ってすぐファンになったなどという例はそう無いだろう。山田作品がつげ義春のように発表時から20年、30年後の若者層にささくれだったスタンダードとして愛読されるようなことはあるか。あるかも知れないしないかも知れない。が、山田芳裕と同世代の私なぞは山田作品を20年、30年後に読み返した時に強烈なノスタルジーを感じるのは間違いないと思う。そういう意味でなら岡崎京子桜沢エリカなどの80年代作品の方がノスタルジックにひたれるように思うが案外そうでもないような。時代の空気があっても誰もが感じていたそれとは一味違うサムシングエルスというか。あっさり言えばメジャーに乗りきれないままボチボチやっていた珍本ランクの魅力というか。別に『へうげもの』が『バガボンド』並みにヒットして欲しくない訳ではないが。会社員でもない私だが定年にあたる年代に入った頃にエピック時代のエレファント・カシマシを再び聴いたその時にあれこれ思い出す何かには関心がある。同様に何かを思い出させるに違いないコミックは本作か。