映画を撮る側と切断する側の間である

10月22日、新文芸座にて「鬼才・加藤泰 情念の鮮烈と奔流」『緋牡丹博徒 お命戴きます』(71年東映)『緋牡丹博徒 花札勝負』(69年東映)を観る。客席はまずまずの入りで当然ながら中高年からもっと上の世代が中心だが若者の姿もぼちぼちと。
今時の大学生が東映ヤクザの世界に引き寄せられるきっかけって何だろうかと考えてしまったり。竹内力のVシネマを観ても菅原文太も観ておかなくちゃとはあまり思わないだろうしとんねるずのパロディコントすら乗り遅れた平成っ子。の中にもお竜さんは生きているのか。やはりお竜さんかしらとも思ったり。
鶴田浩二高倉健の格好よさが今時の若者にすんなり伝わってしまうような土地は相当なイナカであり「明治の中頃」同様に土地の有力者の独裁政権下にある地図にないゲットーであろう。が、マツケンサンバの盛り上がりを見た時にはそんなイナカも都市部も大差なく今は「明治の中頃」なのかしらと私なぞは思った。チャールズ皇太子も来てるしね実際。
さて、その日の新文芸座にはそんなおじいちゃん世代と孫世代が客席を占めていたのだが。私と同世代の四十男の姿はあまり見られないようで少し淋しいような。私だってリアルタイムのお竜さんには完全に乗り遅れているのだが。
ドラマ『スケバン刑事?』に夢中になったのが十代の終り頃か。その後リバイバル上映された緋牡丹博徒シリーズにごく自然にハマった、というよりもこちらがオリジナルで三代目スケバン刑事が過熱気味のパロディだと後でわかった。わかっちゃってもパロディの方を愛し続ける生き方もあったかもしれないなどと大げさなことを考えたり。
私はまだ一度も観たことがないがTSUTAYAの一角に並ぶスケバン刑事や美少女仮面のパロディ的な内容らしきアダルト物を撮っているのは同世代のディレクターだろう。十代の終り頃に『スケバン刑事』シリーズに夢中になった後に映画界に飛び込み揉まれ砕かれしつつも一等初めに志したものを自分の手で自分なりに形にしたものが前述のAVなのだろう恐らく。
そう思えばそうした作品群も同窓会気分で一度観たいようなやはり観たくないような。何を引いているのかというとそれがやはり彼等の渾身のオリジナルに他ならぬからではと。オリジナルとは恥ずかしいものなのである。生ギターとラジカセを思春期に所持していたかっての若者が今も隠し続けているはずのソニーBHFテープに刻まれた心の歌。どうっちゅことない青春の叫び。あれをまだ歌い続けている同世代がいることは心強いのか否か。