下手に待望論出せない男である

神保町キントト文庫にて入手した『竜二 映画に賭けた33歳の生涯』(生江有二 著)を読む。金子正次の生涯を映画化した『竜二 For ever』なる劇映画を観るための予習にと読みかけて結局予習も本チャンも中座していったのはなぜだったのかしら。
『竜二』を当時劇場で観て『チンピラ』もその続編も『ちょうちん』も観ている私は第一次金子正次ブームに思えばすっかりのった世代。つまり当時は金子正次の魅力にとりつかれていたはずなのだ。が、キントト文庫にて幻冬舎アウトロー文庫の『竜二』を手に取った時の私は正直金子正次いたなぁ何かとフォロアーだった頃の自分も含めてむずかゆい気がした。
当時の私が金子正次のどんなところにのぼせていたのか。お友だちレベルの戯れ事レベルでアングラ芝居を打ったり自主映画を撮ったりする学生は当時ウンザリいたし私もその中の1人だったからか。だったら寺山修司のアンチファンみたいな態度をあの頃の金子正次のに向けてもよさそうなものだがそうはしなかったのは。東映三角マークの登録商標付きの本物のスターになってしまった金子正次があまりに短命だったからだろうか。
本書の後半、『竜二』の成功の後で母校の東京映像芸術学院にて映像科の生徒らと金子正次がディスカッションする場面がある。こうしたイベントはこの頃いくつもあった。つい先だってメジャーデビューして話題を集めたばかりの新人監督が雑居ビルの会議室のようなハコに集まった映画学校生の前にひょっこり現れるのだ。私のような者にも何度も入場できたのだからタダみたいなものだったはずなのだが。あれは今思えば何のために企画されたものだったのかと。
本書の中での金子正次はそうした席上で映画がやりたけりゃ現場へ行け、ギャラなしのパシリでもいいからありませんかってなどと一応は尻を叩くようなことを面倒臭そうに語っている。「この世界で御飯が食べたいんでしょ」と挑発的にも語っているがギャラなしのパシリは今も一緒なんだがなとまでは決してぶっちゃけない。
あの当時あちらこちらで開かれたこうしたイベントの企画意図はそこかなと今頃になって気づいた。つまりギャラなしのパシリでもいいから現場で人柱になってくれる右も左もわからない若者をかき集めるための手配師として金子正次のような超新星たちは呼ばれまくっていたのだ。寺山修司が健在だったら今何をしていたかは私には想像できない。が、金子正次が健在だったら今頃はあの類のイベントの凄腕プランナーであったろうと思う。