つまり鬼が出るか蛇が出るかである

3月23日、ラピュタ阿佐ヶ谷にて「60年代まぼろしの官能女優たち」、『女王蜂の欲情』(66年 大蔵)を観る。監督、小川欽也。主演、内田高子。60年代後半に乱造された独立プロ制作の成人映画群は現在ではほとんど観る機会がない。フィルムも資料も多くは行方知れずのため本特集には何やら期待が高まったが。
内田高子なる当時のスター女優は「ネグリジェ歌手」から官能女優に転身したというがその「ネグリジェ歌手」というのがまたよくわからない。ネグリジェ姿でキャバレーのショーに出演していたのか。70年代に「泣くなおっぱいちゃん」なるシングルのプロモーションで通りすがりの見物客におっぱいを触らせていた演歌歌手のように捨て身の晒しモノ系アイドルとして一部で人気を集めていたのか。今となってはなるべくそっとしておいてあげたい気もするまぼろしの官能女優なのだが。
内田高子は本特集のトークイベントにも登場するようでひょっとしたら40年以上も昔のまぼろしに今後骨董品的価値が付きかねない傾向には自身も乗り気なのかもしれない。本作での内田高子の役どころは売り出し中のファッションモデルである。過去にライバル関係にあった同僚を付き人にしているがその彼女の隻眼は内田の仕業との噂が業界には流れている。その後の大映テレビにも受け継がれているいかにもな愛憎ドロ沼劇だが。
その内田のマンションに連日かかってくるイタズラ電話の主によれば内田の様子はこちらから丸見えだと下着の色や胸のホクロを言い当て高笑いする。鈴木清順の『殺しの烙印』に同じシチュエーションがあったが本作とはほぼ同時期に制作されたよう。が、本作が『殺しの烙印』に負けず劣らずセンセーショナルなわけではない。イタズラ電話の主は一体だれというフックをほぼ全編にわたってしつこく繰り返す実験映画かと思うような単調さにはあきれもしたが。
そもそも当時はこの類のエロダクション映画をあまりマジメに観る客はいなかったのではないか。性描写も今ではさぼど刺激的ではなくバスタオルを巻いたままシャワーを浴びつつ男優にくすぐられフンフンのけぞる程度のものである。しかし当時の若者はそうしたショッキングな映像に敏感に反応したのではないか。
80年代の半ば頃までは洋ピン館で後部座席から体液が飛んでくる心配を当時学生の私はしていたのを思い出した。もしもリアルタイムで当時のピンク上映館を体験していたら。いやそんなことは考えたくもない。ソドムの市のようであったはずのその頃の場末のピンク館こそが実写版『三丁目の夕日』かとも。