闘いからは卒業見送りの身上である

もう4、5年前だかの池袋サンシャイン内での古本市に行ったときのこと。グラビア女優らの写真集やDVDの並ぶ棚を横50センチ程同仕様のパッケージが占拠していてこれはと思った。よくある名作ロマンポルノのようなデザインで花模様のバッグに主演女優のスチールが飾られただけのシンプルな装丁。で、その主演女優の位置にビーチで水着姿でくねくね写っている見たこともない少女モデルが一応笑いかけているのだが。それが何気に買った古本や古着の中にはさまっていた見知らぬ誰かの女友達の写真のように鳥肌ものの普通の芋姉ぶりというか。80年代に末井昭のエッセイでエロ本業界には駆け込み寺的なモデル事務所があって最悪の事態にはそこの名物社長に頼めば数時間後に最悪のモデルが現場に一人でやってくると語っていたのを思い出したが。まさかあの名物社長が今でも最悪の少女モデルをどこからか集めてまったく売れないイメージビデオを何10巻も制作しているのかとも。が、40本近くもある全然セクシーじゃない少女たちが砂浜でねじれたり片目をつぶっていたりするDVDを手に取りつつ私は自身が彼女らくらいの年の頃を思い返していた。その頃の私はドラマの脚本家になろうとしてシナリオ教室に通っていた。半年間の講座が終了すると卒業制作のシナリオ集と記念品を受け取った。当時は己の名前がまがいなりにも活字になり印刷物として目の前に差し出されるとホクホクしてしまう時代でケータイはまだ自衛隊の無線機のようで持ってる方が笑われていた。で、その頃の私は自分の書いたものが印字された小冊子を何度も読み返してしばらくはホクホクしていたのだが。つまりあの40本近くもある全然セクシーじゃない少女たちの無理矢理なイメージビデオもどこかの養成所の卒業制作なのではないかと。半年間、それらしきレッスンや舞台経験の後に皆で地方ロケした皆がセクシーな気分を満喫したビデオ作品をそれぞれに配布していたのではないかと。卒業生らはしばらくはそれをホクホクしながら自宅で再生していたのかとも。私はそのようなことを考えつつ肩すくめその場を去ってしまったが。今になってあの全然セクシーじゃない少女たちのイメージビデオを大人買いして全巻流し観てみたいような。その行為は80年代のドラマ仕立てのAVで主演女優のあまりの大根ぶりに逆に反応してしまったあの頃の自身と同様。こんなことをしてただで済むと思ってなどと不慣れな標準語と雪ダルマのようなメイクで喘ぐあの頃の業界モデルとその娘世代にはさまれて。ダスティン・ホフマンとして。