これこそAKIKOの磁力なのか

7月3日、岩波ホールにて『そしてAKIKOは…〜あるダンサーの肖像〜』(12年 自由工房)を観る。監督、羽田澄子。本作は85年に羽田監督が現代舞踊家アキコ・カンダを撮った『AKIKO―あるダンサーの肖像―』の25年越しの続編にあたる。85年には40代だったアキコも70代半ば。今も自身のダンスカンパニーを率いてマイペースな活動を続けるアキコの近況を記録するというわりとのほほんとした当初の企画だったそう。ところが撮影開始時にアキコが癌を発症してしまう。舞台を断念したくないアキコは入院治療を拒んだために頭髪は抜け落ちガリガリにやせ細っていく。85年版『AKIKO』は文化庁第一回芸術作品賞を受賞し羽田監督とその夫の工藤プロデューサーへのアキコの信頼は厚い。それゆえにあまりに無防備なアキコの姿に見る側はどうしたって引いてしまうのだが。本作を観て私は原一男が作家、井上光晴の最晩年を撮った『全身小説家』を思い出した。映画の3分の2ほどの尺で井上光晴は他界してしまい残りのフィルムには関係者の意外な証言が続く。その著書や講演で語られていた軍国少年期の凄惨な体験には多くの脚色と創作が盛られていた事実に観客は思わず吹き出す。それが中盤までの壮絶な闘病記録と対になり不思議と親しみがわくのだ。12年版『AKIKO』では85年版での全盛期のアキコのカリスマぶりや現在の悲壮な素顔にも観客は身構えたままである。が、アキコの死後に生前は「母親だっていうのはあまり意識したことがない」一人息子にインタビューする場面で観客席は暖まっていく。母親の手料理を食べたのは過去に目玉焼きが一度だけ。伯母に預けられていた幼少期に時折姿を見せたアキコは子供のような人。最期までその印象は変わらず終いで自分が息子に買ったマフラーを気に入って本気でうばい合いのケンカをしたり普通じゃなかったと語る様子に観客席からついに笑いが。現代舞踊界を代表するアキコ・カンダの偉業は理解しきれなくとも妙に親近感がわく場面だ。73年から渋谷ジャンジャンで定期公演を始め観世栄夫米倉斉加年とも共演しているアキコ・カンダは私にとって「何かそういう人」でしかなかった。が、本作だけは見えない力に吸い寄せられるように岩波ホールに足を運んでしまった。これこそAKIKOの磁力なのか。ロクに観もしないで一人勝手にレッテルを貼ったりコキ下ろしたりできるほど若くはないのだ私も。ならば浅香光代女剣劇も観られるうちに観ておくか。それはともかくもアキコ・カンダは今後とも要チェック。