オツナヒキと呼ばれる綱引き祭の綱を

2月13日、諸星大二郎 著『雨の日はお化けがいるから』(小学館)を読む。本作は漫画家、諸星大二郎が06年から17年までビッグコミック誌を中心に描いた作品をまとめたもの。巻頭カラーの『闇綱祭り』の舞台はとある地方都市。主人公の少年リューは町の神社で毎年行われる奇妙な祭りに参加する。オツナヒキと呼ばれる綱引き祭りの綱を町民組に対抗して引っ張る相手組の正体は闇に包まれて見えない。闇から引きずり出された「向うのヒキテ」光を浴びて異形の姿をさらすと同時に絶命する。光の側から闇の側に引き込まれたこちらのヒキテも「神隠しになってそのまま行方不明に」なってしまう。リュー自身はそんな変なことを何だって毎年やらされるのかと疑問には思う。が、「それは訊いちゃいけないことだった。昔からの伝統ということで………」半ば納得して例年参加していた。光と闇の均衡を崩さず保つようにという神主の号令も若い世代には届きにくくなり遂にバランスを失うと町は闇に吞み込まれ跡形もなく消滅してしまうという結末。ホラーとは未知なる世界に自身が呑み込まれるプロセルのことでお前も早くこっちへ来いよと誘う側には現状何も怖くないのだ。と、思う心にもまだ保身は残るはず。映画『地獄の黙示録』のなかで「恐怖とそれに脅える心の両者を友とせねば」と語るカーツ大佐のように正気のままものを考える凶器のごとき人間であること。生身の人間にそんな真似ができるものかと疑問を持つ心にもまだ保身は残るが。いざとなったら何もかも捨てて飛び込めるもう一つの世界に憧れるほどにはこの世界に痛めつけられていない自身の立ち位置をどう思うかと問われれば少なからず自分で選んだことでプロセスのことをしきたりや民間伝承と履き違えないように、プロセスはプロセスなんですよと言われる時代も来るかも知れないが少なからず自分で選んだことと思いたい。表題作『雨の日はお化けがいるから』にも主人公の少年の周囲にはお化けという異形の者たちがつきまとう。そんな少年に「ねぇ、傘に入れてくれる?」と近づいてきた少女もまた浮世離れしたお化けのような存在なのだが。「お化けはこっちが怖がらなければ何もできない」という「ルール」を教えてくれた少女のことは雨が止んだらまた会ってみたい妖精のごとく心にとどめておく少年もまた何かを自分で選んだことにしておきたいのではないか。自分で選ぶそのことも怖がらないことや逃げないこととはまた別の「ルール」にはなるのだが。