この路線にもっとこだわっていれば

10月28日、チャクラの『チャクラ+5』(ウルトラ・ヴァイヴ)を聴く。本作はチャクラが80年に発表したデビューアルバム『チャクラ』に未発表ライブ音源を9曲付けて収録したもの。ジャケ写に写るメンバーの衣装は人民服をアレンジした奇妙な恰好でこれはプロデューサーの矢野誠の着想だとか。一見して人民服というよりオウム真理教の幹部がテレビ出演時に着ていたあの制服を連想させるが。チャクラというバンド名も含めカルト教団めいた印象をアクセサリーにしていたという点ではじゃがたら聖飢魔Ⅱよりも早い。この路線にもっとこだわっていれば別の意味で後年まで語り草になっていたかも。チャクラといえば『福の種』であるが。本作の解説文の中の小川美潮のインタビューによれば歌詞を松本隆に補作してもらう予定だったそう。しかし松本隆は『福の種』をやるならこのバンドには参加しないと断ったという。『福の種』のオリジナル詞は「こぼさないで 忘れないで なくさないで あわてないで」で始まる牧歌で土着的な入り口から「福の種をまこう 幸せの種を」という堂々と宗教的な結句のリフレインへと繋がる。表向きは真面目な民族研究会の看板を掲げてもうさん臭い噂のたえない学生サークルの応援歌のようでもあり松本隆が毛嫌いした理由も分かるような。しかしチャクラといえば『福の種』くらいしか興味のない私にはこの曲の何が興味深いのか問われれば正しくカルト教団じみて堂々うさん臭いからなのだ。80年代型不思議少女としては微妙なタレント性の小川美潮は正しくうかつに足を踏み入れてはいけないサークルの飾り花的な魅力があったしチャクラというバンド自体にそんなものと分かっていてもはまってみたいマルチ商法のごとき魅力があった。今改めて『福の種』以外の曲も聴いてみるとこのバンドはほぼフュージョンと呼ぶべき技術者揃いだったことに気づく。『題名のない音楽界』に登場した生活向上委員会のようにアカデミックな立ち位置からお茶の間にはみ出した芸術家集団だったのかと。ならばやる側も聴く側もやがて一緒にするなと反発し合うのは当然だったかも知れない。けれど今現在のコンビニで店内BGMに使用されても違和感のないチャクラのうさん臭さは定番化されるべき良質な商品ではないか。いずれは実現しそうなベジタリアン対応のコンビニや嫌ポルノ対応のコンビニにはぜひ『福の種』がガンガン流れていて欲しいものである。ミューザック(音楽のゴミ資源)という言葉を覚えたのも80年代初めだった。