またぞろ振り出しに戻れたのは実に

4月12日、シネマート新宿にて『GOLDFISH』を観る。監督、藤沼伸一。本作はアナーキーのギタリスト、藤沼伸一がバンドの全盛期から転落と再出発までをみずから描いたもの。メンバーのマリこと逸見泰成は17年に自死したが詳細は公表されていない。身内がそっとしておいてくれという件にバンド仲間がどこまで踏み込めるかだが。本作のなかのアナーキーは「銃徒」(と記してガンズ)なる架空のバンドとして描かれマリはハル、伸一はイチとして登場する。傷害事件を起こして表舞台を去ったハルには死神が付き纏っていたという寓話的な設定は「その人に近しい人が観て嫌な気持ちになるようなことはやめよう」という配慮らしい。町田康演じる死神が「伝説になるのも遅すぎでしょう」とハルに語りかける場面の戦慄。最早どうあがいても仕方ないという諦念と死の誘惑。どんな役でも達者に誠実に演じきる北村有起哉はハルそのものだが。親衛隊をバックに「俺達は暴力を肯定してはいないんだ」と主張する若きハルを演じた山岸健太の横顔には正しく逸見泰成が見えた。横浜銀蝿沖田浩之同様に案外倫理的なことを言う不良がまぶしかった時代のアイドルだったハルだがあれを今さら繰り返すのは道化にもならない。が、そんなことは自分以外にはどうでもいいことなのだ。再び全員揃えば出資してやるというスポンサーに対して「金目当ての見世物」をニヒルに演じようとするイチと演じてきたわけじゃない自分の居場所がわからないハルの訣別。他のメンバーとはプレイヤーとしての技量に格差が生まれ自分の担当は「パンク精神」といった展開になっても身一つでステージに立てるか。海外にはそんな観光物産化したパンクバンドも珍しくない。が、デビュー当時には日本のパンクを金出して聴く奴もそうはいないと見下された銃徒のメンバーにそれはできなかった。ではなぜできなかったのかこそが今も難問なのだ。観光パンクお断りだねと本当は声を大にして言いたい日本のパンクの悲哀に比べたら本作の不細工さや悪ノリなぞ問題ではない。アナーキーのインタビュー本『心の銃』のなかで藤沼伸一はヤクザ映画について「カッコよくヤクザを見せてはまずいと思う」と応えていて中学生の私は震えた。そんな自分もツッパリ商品や暴走族の書籍に散財していることは忘れてそうだ何かがおかしいとイキり立っていたが。本作は新人監督ゆえ完成度は低くとも充分な手応えのヒットでアナーキーのデビューアルバムと同じ反響。またぞろ振り出しに戻れたのは実に職人技というべきか。