2007-01-01から1年間の記事一覧

これが俺の家だと呼びたいんである

3月24日、大塚のとんかつ屋にてとんかつ定食八百円に納豆百円をトッピングしていただく。物置小屋のごとく狭くひっそりと薄暗き店内だが不思議なリラックスムードのある店ナリ。お前の言うリラックスは信用できないと当コラムを何度かたぐり読んでくれた…

でも、でも何かが違うんである

3月23日、大塚のモスバーガーでクラムチャウダーをすする午前10時。ここにはいつも読売新聞が置いてある。なのでモスは読売系なのかと思い込んでいたのだが王子のモスには毎日新聞が常備してある。が、モスバーガーが昨今赤い外装の赤モスと緑の外装の…

エレクトよりもエレクトリックである

うん、夏目雅子(和田勉の口調で)。3月17日、仕事帰りに池袋東武の中をウロチョロ。ひょっとするとヤバイかも知れぬボリュームの便意を抱えて。中年とあっさり呼べる年齢になってからこの天下の往来でふいに失禁しそうになる例が珍しくもなくなった。実…

見えない世界は二人のためである

3月14日、東劇にて木下恵介監督作品『二十四の瞳』、デジタルリマスター版を観る。デジタルリマスター版ではない『二十四の瞳』をスクリーンで観たことは過去二回か。数年前に虎の門ホールで木下恵介作品ほぼ全作を取り上げた上映会がありその時観た『二…

チョコバナナの誘惑にすら赤面である

2月20日の夕刻には神保町のロザリオでカフェオレを飲んだり。行きつけの中古ビデオ屋にて『胸さわぎの放課後』を二百円で入手したり。昭和57年の東映作品で主演はひかる一平、相手役には本作のためのオーディションで150名もの応募者の中から選ばれ…

あんこ椿は苦しまぎれの只今である

2月20日、深川不動尊にて『南かなこ・ど演歌ストリートライブ』を観る。門前仲町の駅で降りたのは初めてのこと。確かこの地では三十年以上もの歴史を持つ無声映画の定期上映会が今も開催されているはず。何やら町全体がそうした昭和クラッシーな空気をあ…

住めば都と強がりきれないんである

2月6日、休日であるが休日だからこそかお子様並に早くに目が覚めてしまい春先のようなぽかぽか陽気につられ外に出る。何か痴呆症の始まりかけた老人がとにもかくにも日光浴をしたがるような。子供と老人とのそれぞれ扱いにくい性質がミックスされてくる年…

痛いの怖けりゃ世界も怖いんである

2月11日は家主のエイチと久し振りに池袋周辺で会ってトグロを巻く予定。さすがにもう私の大四畳半に日がな一日入り浸れはしないよう。かってはこのウナギの寝床に男二人どうにかこうにか寝泊りしてたことが夢のよう。大学でも毎日顔を合わせ話し合った帰…

墓につばをかけるヒマもないんである

1月26日、神保町のセコハンショップで岩松了監督作品『お墓と離婚』を入手する。が、2月2日現在までそのビデオを観るヒマがない。ヒマはつくるもの?だと思うがつくる気になれないのか知ら。『お墓と離婚』というタイトルが重過ぎるのか知ら。どちらも…

桑原さんからの贈り物だったのである

1月20日、池袋のレコファンでたったの二千五円で入手できてしまった浅川マキ『こんな風に過ぎて行くのなら』が自宅のプレイヤーではなぜか再生できない。盤が規格違いということもなく確かにもうガタピシのしょぼいソニー製の一万弱のプレーヤーなのだが…

二十二才の別れは土俵際である

1月23日、家主のエイチよりまだ書いてもいない当コラムの稿料が届いてしまった。稿料といっても小学校低学年生のお年玉位の心付けである。ではあるがその金が生命をつなぐような場面が年に何度かは私にあるのだ四十面下げて未だに。未だに『男おいどん』…

心凍らせる資格すらないんである

今年2007年が阪神大震災から12年目にあたることを気にかけている人は私の周りにも多い。阪神大震災から10年目にあたる年よりも12年目にあたる今年の方が何やら不気味な感を持たせるようなことをまことしやかに彼等は語るが。 さらに言えば亥年とい…

大根の花は今も珍味らしいのである

12月23日、早稲田松竹にて『戦場のメリークリスマス』を初めてスクリーンでちゃんと観る。「前から一度観ようと思ってたんだけどテーマ曲しか知らなくて」とロビーで語っていたカップルの男性は20代半ば位か?その世代にはもうそんな感じのスタンダー…

愛と死を見つめ倒し押し倒しである

12月22日、江戸東京博物館にて「荒木経椎 東京人生」を観る。両国などという街にはまず出かける機会がないので途中、春日のらーめん花月にて味噌ちゃんこラーメンを食べてみたり。が、両国駅前にはそうした小旅行者向けのエコノミーなちゃんこレストラン…